山野草の独り言

アクセスカウンタ

zoom RSS ポツダム宣言  <蛇苺>

<<   作成日時 : 2015/05/23 05:43   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

私の手元に一冊の粗悪な紙の日記がある。

父の残した終戦の年の日記だ。

88歳まで生きた父は、18歳の頃から、亡くなる寸前まで日記を書き残した。


晩年、そのほとんどを自分で処分して、残っているのは最後の20年分ぐらい。

その中に、1冊、終戦の年の日記だけは処分せずに残っていた。

その終戦の年の、終戦の日の日記を紹介しようと思う。

8月15日 雨  (当時 39歳)

 「昭和20年8月15日正午」われわれ日本民族の地球上に続く限り、この日は永遠に我々から忘れられないだろう。

 昭和12年7月に始まった支那事変よりさらに昭和16年12月より加われる大東亜戦争によって本日に至る約10年。

支那を更に米英ソ否全世界を相手に血のにじむ激闘を繰り返した10年。

その血と一切の力を出し尽くしたわが帝国はこの日を持って敵国の示せる停戦の表示に、「ポツダム宣言」を受諾することに決した。

この日畏多くも聖上親しくラジオ放送を遊ばさるの言、朝よりあった。

そして盆休みの今日、皆それぞれ用意してその時を待ち、正午になって、只今ヨリ重大放送があります、と発表

「全国の皆様ご起立願います」それから君が代がはじまり天皇陛下の有史以来のラジオ放送が行われた。

録音によったためか詔書のお言葉は分からなかったが、次に内閣発表がありそれがハッキリ「大東亜戦争の局をむすぶのやむなきになれり」といい「ポツダム宣言の受諾」を発表。

更にそれまでの一切の経過が発表された。

更に3時の報道の折には同一のことが報ぜられ、尚14日よる陸軍大臣阿南大将は陸軍大臣官邸において「大君の深き恵みにあらず身は言い残すべき片言もなし」の辞世をのこし自刃セリと発表された。

尚よる7時の報道も同一のことが報ぜられ鈴木総理大臣の大詔を拝し奉りてのラジオ講演がおこなわれ、更に9時には内閣総辞職が発表された。

 ポツダム宣言受諾するになった最も大きな一つは敵が広島および長崎において行われた新しい爆弾「原子爆弾」の非常な破壊力と、もう一つはソ連の戦争介入のためにやむをえず敵に対して無条件降伏というわが民族始まって以来の情けない結果を来たられしものなのだ。

 戦争は終わった。がさて我々に戦後にくる敗戦国という情けない待遇の下に、限り知らぬ苦難の道を歩くことになったのだ。
 
 耐えよう。耐えよう。一切に耐えよう。


この日記は数年前「戦争を語り継ごう」と言うサイトに投稿しました。そのメニュー「終戦」の「私の八月十五日」の項のトップに掲載されています。


安倍首相の戦後70年の談話のことが最近話題になる。

その、安倍首相が、「ポツダム宣言」について、つまびらかに読んでいないとのたまわった。

日本の戦後の原点をなす「ポツダム宣言」を読みもせず、戦後70年を語ると言う。


私には信じられない。

父が生きていたら、「こんなバカが総理大臣か」とびっくりするだろう。

日記の8月15日の欄外に「ポツダム宣言受諾す」と大きな字で書いてあった。


この、静岡の片田舎の水のみ百姓の日記ですら、戦後が「ポツダム宣言」受諾に始ることを書き記している。

この日記を読む度に、父が何度も何度も、「ポツダム宣言」の受諾と「戦争は終わった」というの事実を確認していることが分かる。

その、ポツダム宣言をつまびらかに読みもしない総理大臣に「戦後」の何が語れるのか。


ヘビイチゴ 撮影 2015年5月
画像

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
ポツダム宣言  <蛇苺> 山野草の独り言/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる